2017-10

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第64回読書会報告

第64回読書会は前回に引き続き、宮沢賢治に触れたことがない人に向けた企画でした。
今回は宮沢賢治名作アニメーション「風の又三郎」(1988年8月20日)を鑑賞し、吉田文憲先生による解説が行われました。
吉田文憲先生の分かりやすい解説の後、参加者で感想や質問、意見交換がなされました。

鑑賞した「風の又三郎」は9月1日・2日の場面が描かれ、
吉田先生曰く「天上の空からの目」「俯瞰的な眼差し」「風の又三郎が上から見ているような」映像だと指摘しました。
解説は主人公である高田三郎と6年生の一郎、5年生の嘉助を三角形にした関係図から始まり、「風の又三郎」においてどのような役割を持つか語られました。
作品内では主人公の心理描写が一切書かれていないため、一郎や嘉助が代わりに内面を考えます。
嘉助の主観になると、主人公の姿は風の又三郎という幻想の姿に映り、
一郎の主観になるとただの転校生という現実の姿で映されます。
しかし物語が進むにつれて一郎もまた、高田三郎は本当に風の又三郎かもしれないと段々思い込んでいくという構造になっています。

ガラスが割れる描写について、ガラスによる効果が語られました。
教室は1~6年生全員が一片に押し込められた密封空間であり、
その抑圧された飽和状態の空間に異物(転校生)が入ってくることで混沌が外に溢れ出すことが表現されています。
また窓ガラスは幻想の装置とすると、外の子供たちが内にいるストレンジャーを囃し立てる構図が出来上がります。
囃し立てられ⇔払い捨てられ、異界から来たものはずっとそこにはいられず、高田三郎も12日しかいられなかったのではないかという結論に至りました。

吉田先生の発表後、風の又三郎に触発され、子供たちの反発(学校制度や先生など)のエネルギーは無意識に解き放たれたという意見が出ました。
また、
心情が描かれないことに対して”ない”ということがいかに幻想を掻き立てられるか、
高田三郎(風の又三郎)の存在が子供たちにどう影響しているのか、
主人公の登場により12日間の祝祭空間となって→日常に戻っていった、
という意見が続きました。

吉田先生の解説はなるほどと感じられることばかりで、参加者の皆様の感じ方、考え方も様々でした。
一人で読むときとは異なる発想を体験することができ、とても充実な研究会となりました。

参加者の皆様、ありがとうございました。

次回は6月26日(金)、今回と同じ文学演習室(1113教室)で開催予定です。
今回鑑賞した「風の又三郎」の後半部分の映像を上映し、感想や意見を交換し合う会とします。


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  ●○文教賢治研究会とは○●
 「文教賢治研究会」は、文教大学越谷校舎に発足しました宮沢賢治の研究会です。会員は教育学部・人間科学学部・文学部の教員,非常勤教員をはじめ、大学院生、学部生、研究生、卒業生の総勢39名。(2011.8.25現在)
 教員、学生の枠を超えて日々ゆるやかに活動しております。

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