2011-12

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

宮沢賢治のことを忘れることができない理由


第二回 資源としての「宮沢賢治」

今回は専門領域が社会学千葉聡子先生からいただきました。

-------------------------

「宮沢賢治のことを忘れることができない理由」


 私は社会学を勉強しているが、いつも、社会はなぜ私たちをこのように動かすのだろうか、その社会はなぜ成り立つのだろうか、といったことを漠然と考えている。
またこうした疑問に答えてくれる人の言葉や現象を毎日探している。

 そんな中で、ある社会学の本に「人間は他者を手段として活用しなければ生きていけないし、また人間は他者のために生きようとしないならば、生きていることに意味を感じることができない」という文章を発見した。
文の前段は日常生活でよく言われることであるが、後段は社会の意味を語るものとして、私にとって非常に重要な部分であった。ただ後段は実証することが難しいといえば難しい。
しかし証明できないとしても、これは社会を成り立たせる前提として受け入れざるを得ないのは事実だと思うし、誰もが実はこのようなことをどこかで感じながら生きているのではないかと思っている。

 しかしよく考えてみると、この文章の意味と同様なことを語る詩に、もっとずっと昔に私は出会っていた。
それが宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩だ。
こんな解釈は正しくないのかもしれないが、少なくとも私は、社会を感じさせてくれるという意味でこの詩が好きだし、その意味で宮沢賢治のことも気になる。多分、この詩を始めて読んだ幼い時も、同じ感覚でこの詩が好きだったのだと思う。
そしてその幼い頃から、このような詩を宮沢賢治はなぜ書くことができたのか、それをとても知りたいと思い続けている。

 問題は、なぜあの詩を宮沢賢治は書くことができたのか、ということである。
社会に生きる人間であれば、どこかであのような気持ちになることはあると思うが、それを表現できるのは限られた人であるように思う。
なぜ限られた人だと思うか、それはうまく説明できないが、誰もが言ってしまえば、私が考えている社会は薄っぺらなものに見えてしまう気がする。

 宮沢賢治がなぜこの詩を書くことができたのか、まだわからないでいるが、だから宮沢賢治ことをいつまでも忘れることができないでいる。
「ああ、どうしてあの詩を書いたのだろう」。
わかったらきっと涙が出てくると思う。
スポンサーサイト

NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

プロフィール

事務局

Author:事務局
  ●○文教賢治研究会とは○●
 「文教賢治研究会」は、文教大学越谷校舎に発足しました宮沢賢治の研究会です。会員は教育学部・人間科学学部・文学部の教員,非常勤教員をはじめ、大学院生、学部生、研究生、卒業生の総勢39名。(2011.8.25現在)
 教員、学生の枠を超えて日々ゆるやかに活動しております。

カレンダー

11 | 2011/12 | 01
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最新記事

カテゴリ

資源としての「宮沢賢治」 (2)
研究会 (20)
読書会 (63)
宮沢賢治関連情報 (1)
告知 (15)
今月のtop画像 (7)

検索フォーム

ようこそおいでくださいました

貴方は

人目のお客人です。

リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。